舞城ってブコウスキーはどうなんだろう

舞城作品で一部のキャラクターが作品横断的に登場するのは、手塚治虫のシステム*1が元にあるのかなと今さらながら思いました。舞城ついでにもう一つ思ったことを。彼の作品でよく言及されるのが著名な作家たちについてです。レイ・カーヴァー、オースター、トマス・ハリス、春樹、町田etc。舞城は覆面作家として活動しているが故に公式の場に登場することがありません*2。当然インタビューに応じることもなく、作品を通じてしか彼を知ることはできない。つまり、舞城は自ら影響を受けた作家を読者に知ってもらうために、敢えて彼らの名前を自作で挙げているのではないだろうかと俺は思っています。もっとハッキリ言えば、「舞城作品を読み解くには、これら先達の作品を読了していることが前提ですよ」と作者がメッセージを送っているのではないだろうかということ。だから鬼の首を取ったように、舞城が自作で挙げている作家を指して「舞城は誰それの影響を受けている/類似している」とかネット上で語るのはけっこう恥ずかしいことなのではないかと、舞城論の第1回で清涼院との類似性を論って*3しまった自らを戒める意味を込めてこんな文章を書いています。だって皆さん、もし俺が「舞城は春樹に影響を受けている」とかここに書いたら「もっと面白いこと書けよ」って脊髄反射で思うでしょう?その“春樹”の部分がカーヴァーとかオースターとか町田康とかエルロイでも清涼院でも何でも他にも色々と置換可能だろうということです。でも類似性の指摘が悪だというわけではなくて、類似しているというならそれを指摘するだけに止めず、両者を比較・検討して舞城作品を(あくまで舞城作品を)読み解くほうが建設的ですよねという話がしたかったわけです。そんな七面倒くさいこと考えたり書いたりするのは信者だけでしょうけど。

*1:手塚に限らずスターシステムという手法があるらしいです。勉強になりました。

*2:今のところ三島賞の受賞コメントのみ

*3:“あげつらう”ってこんな字なんですね。初めて知りました