文芸にもっとコンピレーション・アルバムのコンセプトを

Radio 1 Established 1967

Radio 1 Established 1967

長めのエントリなので最初にサマリーを。このエントリではまず個人的なコンピレーション・アルバムについての考えを書いて、その後に文芸にこの考えを導入できたら…という妄想を展開している。それでは以下、本文。

コンピレーション・アルバムというやつは優れものだ。多様なミュージシャンたちの作品を1枚のディスクに詰め込んでパッケージしたそれは、より深い、あるいはより広い音楽への入り口となる。パッケージされるときの軸はそれこそ多様だ。ロックやパンク、エレクトロニカやジャズなどのジャンルでミュージシャンたちに横串を刺すこともあれば、特定のレーベルに所属しているミュージシャンを1枚のディスクにまとめることもある。

この『Radio 1 Established 1967』はBBC Radio 1が設立された1967年から2006年まで毎年のヒット曲を1曲ずつ計40曲、現在売り出し中あるいは有名なミュージシャンたちがカヴァーするというコンピレーション。The FratellisによるJimi Hendrix、The StreetsによるElton JohnFoo FightersによるPaul McCartney & Wings、KasabianによるThe Specials、Lily AllenによるThe Pretendersのカヴァーなど、それぞれ独自の解釈があったりオリジナルに忠実だったりで聞いていて楽しめる。他にもHard-FiBritney Spearsの”Toxic”にチャレンジしていて、これがけっこう良い仕上がりになっている。リチャード・アーチャーのヴォーカルがブリトニーのオリジナルに忠実であろうとしていて微笑ましい。

このコンピレーションのポイントは2つある。1つ目のポイントは、このディスクが、今が旬のミュージシャンたちに触れる機会になっているということ。多様なメンツがそれを証明している。

先述した以外にもKaiser ChiefsAmy Winehouse、KT TunstallにFranz Ferdinand、さらにはGossipとRazorlight、加えてKlaxonsやThe Enemyらが参加しているし、ここに挙げた以外にもまだまだたくさんのコンテンポラリーなミュージシャンの名前を見つけることができる。そしてそこには多様性がある。UKもいればUSもいる。ロックもいればグライムもいる。ここに挙げられたミュージシャンたちにコンテンポラリーという以外の統一性はない。だからこそこのディスクは、ふだんの自分の興味の外にあるミュージシャンの音楽に触れる機会となりうる。

そしてもう1つのポイントは、このディスクが過去の名曲たちに出会う機会になっているということだ。

多様なミュージシャンたちがプレイするのは自分たちのオリジナルではなく、あくまでカヴァーだ。カヴァーされるミュージシャンは、先述した以外でもThe KinksRoxy Music、The UndertonesにThe Jamなど。MadonnaもいればMary J Bligeもいるし、JamiroquaiにREMにJustin Timberlakeとけっこう節操がない。この中にはロック好きは手を出さないようなミュージシャンもいるだろうし、逆にふだんロックを聴かない人にとってはよくわからない名前も多いと思う。その筋では有名でも、例えばThe Undertonesなんて聞いたことがないという人だっているだろう。しかもそれぞれの曲がヒットした時代は1967年から2006年に渡っている。ジャンルと時代。このディスクは、そういう混ざりにくいものを混ぜ合わせている。

これら2つのポイントから、このコンピレーション・アルバムは、カヴァーする側とカヴァーされる側が様々な*1ジャンルから引用されていて、かつ時代にも広がりがあるという多様性に富んだものになっていると見て取ることができるだろう。

このアルバムには年代やジャンルの異なる多くの音楽に向けたリンク先が用意されている。ここからコンテンポラリーなミュージシャンたちを渡り歩くことも、未知のジャンルを旅することも、カヴァーされた作品の原典にあたることも、そこからさらにリンク先を探すこともできる。このアルバムからは、そういった音楽の豊潤な楽しみを得ることができるだろう。

一方で、逆の指摘をできる部分もある。

ここまで書いていて、このコンピレーションに収録されているのに意図的に名前を挙げなかったバンドが2つある。それぞれカヴァーをしているバンドとカヴァーされているバンドなんだけれど、前者がThe Viewで、後者はThe Libertines。このディスクでThe ViewはThe Libertinesの”Don’t Look Back Into The Sun”を披露している。この組み合わせ、UK好きは反射的に狂喜するレベルだけど、このコンピレーションの中では最も意外性がない。というのもこの2つのバンドはほぼ同時代のバンドで、なおかつ同ジャンルに属しているからだ。しかもThe ViewはThe Libertinesのファンで彼らから影響を受けているとほぼ間違いなく言える。だからこの組み合わせから辿ることのできるリンク先は、このアルバムの収録曲中、最も少ないものになるだろう。

しかし裏を返せば、The Viewによる”Don’t Look Back Into The Sun”からは、このアルバム中で最も純度の高いロックンロールが鳴っていると感じることもできる。これは、時代とジャンルの照準を”2000年代のUKロック”に合わせたことで生まれている。だからこのカヴァーはこのアルバムの特異点でありながら、同時に最高到達点だと言えるだろう。


Don’t Look Back Into The Sun performed by The Libertines

ここまでが前フリ。

思うんだけれど、文芸にこういうコンピレーション・アルバム的なものがもっとあれば俺は嬉しい。もちろん文芸誌がその機能を持っていればいいんだけれど、文芸誌は連載が多く読み切りが少ない。自分の知らないジャンルの小説や多くの作家の作品に触れて、そこから多くのリンク先を見つけて世界を広げたいという欲望を解消するために文芸誌に手を伸ばしても、あまり有効な効果は得られないだろう。こういう目的の元での文芸誌は、時間にせよ費用にせよ労力にせよ、コストばかりかかり過ぎてリターンは少ない。

だからもっとコンピレーション・アルバムに近いイメージの媒体が欲しい*2。気軽にアクセスできるように、すべて短編もしくは中編で、読み切り作品であること。有名無名あわせて多くの作家の作品が掲載されていること*3。ジャンルはひとつに絞らないで横断的だと最高だ。どこかにそんな媒体はないだろうか。

俺が抱いているイメージに最も近いものは実は初期ファウストだったりする。

新伝綺を打ち出す以前のファウストは、軸は太田克史だけという、良く言えばフレキシブルでハイブリッドなものだった。まだ舞城王太郎西尾維新佐藤友哉を共通項として括るものはメフィスト賞だけで、ファウスト系なんて言葉もなかったころ(もはやそれすら聞くこともなくなったが)、ファウストは”舞城と西尾と佐藤のための雑誌”だった。メフィスト賞の熱心なフォロワーは3人それぞれの作品を読んでいたのかもしれないけど、基本的に3人とも作風が違うし、読者層はあまり被らなかったのではないかと思う。というのは個人的な経験をベースに書いているだけなんだけど。俺は舞城は読んでいたけど興味がなかったので他の2人の作品には触れたこともなかった。

だから俺のファウスト購入動機は舞城だけだった。ただ舞城の『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』を読みたくてファウストを買った。そしてそこで佐藤や西尾の作品に触れ、東浩紀を知った。そうやって世界が広がっていく光景は、俺がコンピレーション・アルバムに接するときと同じものだった。俺はリンク先を一気に10個も20個も獲得したような気分だった。高揚した。

しかし以降のファウストからは、そういったものを感じ取りづらくなってしまった。これは俺の慣れという問題だけじゃないだろう。新しく迎え入れられる作家はジャンル横断的ではなくなり、規定路線から外れない人選に思えた。その路線を深く潜るにはいいのだろうが、そういうのはファウストで見つけたリンク先を自分で辿っていけば誰にでもできることだろうと思う。確かに、ビジネスなので売れるものを作らなければならず、そういう意味では新伝綺にしろ何にしろファウストは正しいとしか言いようがない。しかし。

今のファウストに俺が勝手に期待するようなコンピレーション・アルバム的な機能は備わっていない。もちろん備わっていないというだけでそれが悪いとはまったく思っていない。ただ、そんな媒体*4がもっとたくさんあれば読者は多様な想像力に気軽に触れることもできるし、もっと文芸を取り巻く想像力は循環するのではないか。加えて、新規作品だけではなく、先人たちが遺してくれた過去の作品まで網羅するようなものがあったらおもしろいものになると思う。俺は頭の隅の隅の隅のほうでそんなことを夢見ている*5

*1:といってもメインストリームに絞られているわけだが

*2:この問いに対してウェブという回答もあるだろうが、対象範囲を職業作家の作品にしたいと思っているので、例えばブログなどはここでは検討しない

*3:そもそも作家の絶対数が少ないという問題とか版権の問題もあると思うが

*4:そんな媒体が多くない理由は、売れるかどうかの問題に集約されそうだけど

*5:文芸と音楽を同じように見ようとすることに無理があると言う方もいるだろうと思われますが、せっかくなので無理なほうを想像してみました