『ゼロ年代の想像力』が用意した90年代とゼロ年代の対立軸

S-Fマガジン 2007年 10月号 [雑誌]

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相変わらずの周回遅れだが、第4回を読んだので言及しておこう。
ゼロ年代の想像力』に関しては、第3回までを読んで『自然主義的リアリズムとまんが・アニメ的リアリズム - 宇野常寛の見落としているもの』というエントリで東浩紀宇野常寛両氏の噛み合っていない部分を指摘した。第4回もあまり進歩的な内容ではなかったので当ブログの基本的なスタンスも変わらない。両氏は相変わらず噛み合っているようには見えない。というか、宇野氏は東氏に上手く噛みつけていない。これが今のところの結論だ。

ただ、逆の視線を用意することは意外と簡単にできる。すなわち、どこに軸を置けば彼らの対立構造を素直に読み込むことができるのか、ということだ。今回はそれを試みたい。

そもそも宇野氏は東氏と言ってることがあまり変わらないという感じがする。そこにあるのは"データベース消費"と呼ぶか"原理主義的なバトルロワイヤル"と呼ぶかの違いだけでしかないのではないだろうか。例えば、以下は宇野氏のゼロ年代的バトルロワイヤルに関する主張であり、『ゼロ年代の想像力』第2回からの引用にあたる。

そして社会のあちらこちらで、こういった「あえて中心的な価値観を選択する」、つまり「信じたいものを信じる」という態度が広まっていった結果、醸成されたものが2001年ごろから顕在化する「9.11以降のバトルロワイヤル状況」である。この呼称を安易に使用するのは躊躇われるが、2001年9月11日のアメリ同時多発テロイスラム原理主義者」によって担われたことはそれを端的に示している。9.11に起こったのは「虐げられる弱いものが虐げる強いものに噛み付いた」事件ではなく、これからは無数の「小さい存在」同士が「自分の信じたいものを信じて」戦うバトルロワイヤルの始まりを告げるものだったに違いないのだ。

宇野氏はこれをゼロ年代的な特徴だと指摘している。しかし、この認識については東浩紀氏の読者であれば何ら目新しいものではないだろう。まずはポストモダンについて簡単に押さえておこう。

ポストモダン化は、社会の構成員が共有する価値観やイデオロギー、すなわち「大きな物語」の衰退で特徴づけられる。18世紀の末から1970年代まで続く「近代」においては、社会の秩序は、大きな物語の共有、具体的には規範意識や伝統の共有で確保されていた。ひとことで言えば、きちんとした大人、きちんとした家庭、きちんとした人生設計のモデルが有効に機能し、社会はそれを中心に回っていた。しかし、1970年代以降の「ポストモダン」においては、個人の自己決定や生活様式の多様性が肯定され、大きな物語の共有をむしろ抑圧と感じる、別の感性が支配的となる。

上記をまとめると次のようになる。近代に続く1970年代以降がポストモダンとして分類される。そしてポストモダンでは近代を支配していた大きな物語が共有されなくなり、個々人が多種多様な"物語"を信じることが肯定されてくる。上記引用部分ではそのようなことが書かれている。そしてこの引用部は、宇野氏が指摘していた「9.11以降のバトルロワイヤル状況」--無数の「小さい存在」同士が「自分の信じたいものを信じて」戦う--とほぼ同じことを指摘している。それをよりはっきりと示しているのが上記に続く以下の箇所だ。

ポストモダンにおいても、近代においてと同じく、無数の「大きな」物語が作られ、流通し、消費されている。そして、それを信じるのは個人の自由である。しかし、ポストモダン相対主義的で多文化主義的な倫理のもとでは、かりにある「大きな」物語を信じたとしても、それをほかのひとも信じるべきだと考えることができない。たとえば、もしかりにあなたが特定の宗教の熱心な信者だったとして、現代社会はその信仰は認めるが、あなたがすべてのひとがあなたの神に帰依するべきだと考え、ほかの神への寛容を侵害することは、たとえそれこそが信仰の表れだったとしても決して許さない。言いかえれば、ポストモダンにおいては、すべての「大きな」物語は、ほかの多様な物語のひとつとして、すなわち「小さな物語」としてのみ流通することが許されている(それを許せないのがいわゆる原理主義である)。ポストモダン論では、このような状況を「大きな物語の衰退」と呼んでいる。

ここには宇野氏が指摘していた「信じたいものを信じて戦う」というゼロ年代的なバトルロワイヤルと類似したものが既に書かれている。しかもそれは、ゼロ年代の特徴ではなく1970年代以降のポストモダンを表す特徴だという。

だから宇野氏がこう主張するのなら理解できる。すなわち、1970年代から続くポストモダン的な"小さな物語"の乱立状態は、9.11を契機として原理主義的なバトルロワイヤルへと変貌を遂げている、と。しかしこの場合、両者は同じポストモダン論の上に立脚していることになる。ならば宇野氏は東氏との対立軸にではなく、東氏の延長線上に論陣を張れば済む話だろう。しかしそうせずに、彼はそこに対立構造を導入している。『ゼロ年代の想像力』はそのように捉えることもできる。

宇野氏が果たしてこの点--小さな物語の乱立をデータベース消費と呼ぶか、原理主義的なバトルロワイヤルと呼ぶかという問題--に自覚的なのかは判らない。もし無自覚であるのなら、その状況認識は少なくとも10年単位で遅れていると指摘できるだろう。なぜなら、9.11以降に小さな物語の乱立が始まったと捉えるのは、ポストモダンが1970年代から始まったとする分類と大きく乖離しているからだ。

もし自覚的であるなら、宇野氏は小さな物語の乱立をどう捉えるのかという問題から視線を逸らすために、わざわざ東氏を"セカイ系の亡者"と呼んでいると考えることもできる。そうすることで東氏と宇野氏の関係を90年代とゼロ年代の対立軸に仕立て上げることができるからだ。そして、『ゼロ年代の想像力』の中でたびたび繰り返しているように、90年代にすがり付くゾンビたちを一掃しようとしているのかもしれない--『ゼロ年代の想像力』でムーブメントを引き起こして*1

というわけで、第4回にあまり進歩的な内容がなかったため、今回はこのような内容でお茶を濁してみた。最後になるが、『ゼロ年代の想像力』がSFマガジンで連載されている理由が未だによく理解できないでいる。この連載がもっとも綺麗にはまるのは東氏が去ったファウスト誌上でのことだろう。しかし、現実として『ゼロ年代の想像力』はサブカルチャー/オタク系文化批評とあまり親密ではなさそうなSFマガジンに居を構えている。そして宇野氏の言葉を借りるなら、『ゼロ年代の想像力』は批評ではないという。

だとすれば、『ゼロ年代の想像力』が実はサイエンス・フィクションだったら良いと思う。これならSFマガジンで連載されていることにも不自然なところはない。来るべき2010年代の想像力を、宇野常寛センス・オブ・ワンダーで早く示して欲しい。もはや興味を持てるところはそれしかないのだから。

*1:引き起こすことができれば、だが