文脈だけじゃないだろうという話

この前の学問バトンのエントリで言葉が足りなかったので若干補足。あのエントリではThe Libertinesの”The Boy Looked At Johnny”を引用したわけだけど、あの曲のバックグラウンドを説明しておかなくてはならなかったように思う。

2000年前後、ロックのメインストリームの一端は俗に言うミクスチャーに、それもアメリカのミクスチャーに支配されていた。イギリスですらそれは例外じゃなかった。英国の伝統的なサウンドは誰にも顧みられていなかった。そこに登場したのがThe Strokes。彼らは現代において英国的でオーセンティックなロックンロールを鳴らし、そこにはまだ魔法が宿り続けているということを示してみせた。

The Strokesはシーンの扉をこじ開けた。英国からミクスチャーを駆逐した。そして多くのロックンロールバンドがそれに追随した。その中の1つがThe Libertines。もちろんThe Libertinesの面々もThe Strokesを好いてはいるけれど、彼らは自分たちの手で英国に英国らしさを取り戻そうとしたかったはずだ。たぶん、根っこの部分ではThe Strokesがもたらしたこの状況があまりおもしろくなかったに違いないのだ。なぜならThe Strokesはニューヨークのバンドであり、けっきょく英国のシーンはアメリカの支配から脱却できていないようなものだったからだ。

だからThe Libertinesは”The Boy Looked At Johnny”でこう歌ったのだ。「確かに夜のニューヨークシティはすごく綺麗だけど、いい加減ロンドンが恋しくならないか?」。ロックンロールを自分たちの手に取り戻すために。

Yes, New York City is very pretty in the night time,
but oh don’t you miss Soho?
Everybody goes...

でもさ、そんなエクスキューズを知らなくてもこの曲は充分にカッコいいし、楽しめるよね。

たとえばThe Clashはロックに政治的思想を持ちこんだから素晴らしいのだろうか?それは完璧な誤りだ。彼らはロックミュージシャンなのであって政治家ではない。The Clashが素晴らしいのは音楽それ自体においてであり、政治云々はあとから付随してきた、ただの関連情報だ。本質を履き違えてはいけない。

だから俺は文体に拘りたいと思っている。それこそが余計な文脈を削ぎ落とした結果、最後に残るものだと思うから。