『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 Evangelion:1.0 You Are (Not) Alone』
ネタバレ感想。
以下、気になった点を覚えている範囲、かつ重要と思われる範囲で羅列します。括弧内はTV版で対応している範囲です。
- 海がLCL(あるいはLCL風?)になっている(第1話)
- エントリープラグの刺さっていないエヴァが起動してシンジを落下物から助けるシーンが改変されている(第1話)
- ゼーレとゲンドウの対話中に登場する第17次人類補完計画が第27次人類補完計画になっている(第2話)
- トウジに殴られて倒れ、空を見上げるシンジにレイが非常召集を告げるシーンが改変されている(第3話)
- シンジが逃避行の果て、草原でケンスケに出会うシーンが削除されている(第4話)
- ヤシマ作戦に向かうレイが零号機に乗り込む際にゲンドウの眼鏡を持っているという描写が追加されている(第6話)
- シンジが零号機のプラグをこじ開けてレイを救出するシーンにて、「笑えばいいと思うよ」と言ったシンジの笑顔にゲンドウが重なる瞬間が削除されている(第6話)
- シンジがポータブルプレイヤーで25曲目と26曲目を繰り返し聞いている(『序』全編)
8はシンジ*1が第25話と第26話の夢を繰り返し見ていることを示しているかのようで、かなり思わせぶりな数字。また、1からは『序』が『まごころを、君に』と地続きであるように思える。というところで、個人的な感想をまとめると「世界がLCLになったあと、シンジが可能世界を夢想していて、つまり新劇場版はシンジの脳内世界?」って感じです。だからこそ括弧付きのYou Are (Not) Aloneなのではないか、そしてその先に、第27話としての第27次人類補完計画に表れてくるのかな…とか適当なことを思っています。
もし『序』がシンジの脳内世界であるのなら、TV版との差異はシンジが世界を都合よく改変した結果と考えることもできます。でも脳内世界でなかったとしても、なぜ改変されたのか、その理由については検討してみたいところ。
特に7によって、第5話と第6話の性格が大きく変わっているのが気になった。TV版第5話・第6話ではレイとゲンドウの関係、そしてレイの心のあり方を追求していました。その重要な一幕が、レイ視点でシンジとゲンドウの笑顔がオーバーラップする7のシーンだったわけです。つまり第5話と第6話はレイのイベントという性格が色濃かったと言えます。
しかし『序』ではこれが排除されることによって、レイ視点ではなくシンジ視点になっていることが見て取れる。だからこのシーンからは、レイがシンジの中にゲンドウの面影を見るという意味は剥奪され、ただレイの笑顔を見たいというシンジの欲望が表れているように見えたわけです。それは簡単に言ってしまえば、ゲンドウとレイが笑顔で言葉を交わしていた光景を見たシンジが、「僕にも笑いかけてよ!」とレイに言っているエディプス・コンプレックス的なものです。
などとかなりの戯言を垂れ流しているわけですが、ひとまず続きを楽しみにしておきます。
*1:オタク、とも言えるか