ユリイカ8月号

5月末、チケット買ってとにかく期待していたのに個人的な都合で行けなかった東浩紀×海猫沢めろん×笠井潔の鼎談レポートを読んだ。おもしろかったので、当日参加できなかったことが心底悔しい。

で、特におもしろかった箇所は東氏が宇野常寛氏の『ゼロ年代の想像力』に言及して、「あそこで描き出されている対立が、僕と太田克史さんの対立になっている」と評していたこと。俺は前々から"ゼロ年代のボーイ・ミーツ・ガール"云々とこのブログで言っているわけですが、そこではこれに言及するつもりでした。

つまりそれは少女マンガ的なものとマッチョイズムの問題にもつながってくるんだけど、それを安易に『ファウスト』だけで語っちゃうのもどうなのよってなもんだと思いつつも、やっぱり『ファウスト』のvol.1と3の間にある変化ってのは重要なんじゃないかと。vol.1に『ドリルホール・イン・マイ・ブレイン』とType-Moonインタビューが並列で載っていたのはその後の『ファウスト』のマッチョイズムへの傾斜を予見しているかのようだし、そういう視線を用意すると『りすか』ってなんか象徴的作品にも思えてくる。まぁ、そんなのは俺の脳がノイズを排除したがる傾向にあることを汲んで、話半分くらいに聞いておいたほうが良いはずです。いつもながら勝手だなぁ=>俺。

あと、このレポートを読んで伊藤剛氏と東氏の対談もはやく書籍化して欲しいなと思った次第。

「『テヅカ・イズ・デッド』から『ゲーム的リアリズムの誕生』へ」ダイジェスト版

俺が過去に書いた上記のエントリはレポートからは程遠く、あそこに書かれていないおもしろトークはかなり膨大にあったりします。俺自身、対談全体のメモを残しているんだけど、事実だけを並べたレポートは書きたくないと思っていたからこそ、そういう部分はカットして、俺が書きたかったことの材料として活用させてもらいました。

ところがあれを対談のレポートと思ってくださっている方もいらっしゃるので(いや、俺もそういうタイトルを付けてしまったけど)、そういう誤解を解くためにも正式なレポートが欲しい。もちろん俺自身もちゃんと読んで理解を深めたい。伊藤氏はご自身のブログのコメント欄で紙媒体になることが決定されていると仰っていたので、それを楽しみに待っています。