ドラえもんと創作とファック文芸部の件

プロフィール画像から既にバレているかもしれませんが、俺はドラえもんが大好きなわけです。特に大長編ドラえもんが好き。まず重要なのは、大長編では舞台が近所から非日常へと遷移するという点。だから近所と非日常を繋ぐキーアイテムが存在する。『のび太の恐竜』ではタイムマシンが、『宇宙開拓史』では畳の裏が、『大魔境』ではどこでもドアが、『海底鬼岩城』ではテキオー灯とバギーがその役目を果たしている。『魔界大冒険』ではもしもボックスが、『鉄人兵団』では鏡の世界が同じくその機能を持っていて、代わり映えのしない日常をここではないどこかへとコネクトしてくれる。これにとにかくワクワクさせられた。

そしてもう1つ重要なのが、大長編は出会いと別れと友情と成長を描くジュヴナイル構造になっている点です。例えばドラえもんの通常の物語では、ママも先生も怒るばかりでのび太の役に立つことは言ってくれない。彼らの言い分はいつだって「何度言ったら分かるんだ!」であって、決してのび太にその都度、正面から向き合うということをしない。だからのび太はいつまでも失敗する。

のび太に対してまともなことを言ってくれるのはドラえもんとしずかちゃんのみだったりする。中でもしずかちゃんは『ムシスカン』の回で、「あなたひきょうよ!」と言って死へと現実逃避しようとしたのび太を本気で叱っていた。先生やママでさえちゃんと言ってくれないことを言ってくれるしずかちゃんはすごい。まぁ、普段のドラえもんのび太を成長させないでぐるぐると同じ日常をループさせるために大人たちがのび太にまともな教訓を与えていないのかなとも思うけど、それでもしずかちゃんはすごいと思ったね。子ども心に。

しかしながらジュヴナイルの本領発揮となる大長編では、けっこう有難いコメントを頂くことの多いのび太。特に『鉄人兵団』でリルルが言う、「うちなさい!わたしをとめるにはうつしかないわよ。早くうちなさいよ!うって!!いくじなし!!」の台詞は素晴らしい。こうまでリルルにけしかけられたのび太は、しかし彼女を撃つことができなかった。その理由は、ドラえもんがロボットだからだ。のび太ドラえもんを、ロボットを心の底から否定することができなかった。だから同じくロボットでありながらコミュニケートできたリルルを撃たない。あのシーンは、「いくじなし!!」という台詞とは裏腹に、撃たなかったのび太の勇気が素晴らしいと思った。その結果、リルル自身がこの劇の幕を下ろすことになってしまったわけだけれど…。

話は変わります。個人的にはドラえもんに傷つけられたりもした。その最たるものが『SLえんとつ』の回で、のび太がSLに憧れる様をドラえもんが鋭く批判した瞬間だった。ドラえもんの指摘を端的に言うならば、「のび太が力強いSLに憧れを抱くのは、のび太にその力強さが備わっていないからだ」というものだった。これは正直なところトラウマになりかけた。(というか未だに引きずってるんだからトラウマみたいなものか?)

ここまで見てきたように、俺は過剰なほどドラえもんが好きな子どもだった。俺にとってドラえもんとはファリック・マザーを遥かに超えるほど万能の象徴だった。そして、よせばいいのに俺は、俺とドラえもんの関係性にSLとのび太の対比を導入してしまったのだ。その結果、ドラえもんが万能であればあるほど、彼に憧れる俺には何もないんだということが明らかになってしまった。たぶん7歳か8歳頃のことだった。その年齢でこんな自己認識をさせられたのだから堪ったものではない。これ以降の俺は、しばらくドラえもんを読むことができなくなってしまった。とにかく最悪の出来事だった。

ファック文芸部のブログタイトルを『先天性文学不全症候群』としたのはそんなところからきています。俺には物語を語ることはできないのではないかという自己認識と、そんな俺だからこそ語れる物語があるのではないかという希望。2つの相反する感情を混ぜ合わせるように、名付けました。