第3回:『暗闇の中で子供』解体作業-前半

以下では『暗闇の中で子供』のネタバレをしています。ご注意ください。なお、注意書きは主に本文の反証となっています。従って本文と同時進行で読むとワケがわからなくなりがちです。一通り読んでから、さらっと注意書きを振り返るのがよろしいかと思われます


1.『暗闇の中で子供』の構成はじめに、作中のどこが虚構でどこが現実*1なのかを便宜的に決めてしまおうと思う。なぜそんなことをするかといえば、単純に、そうした方が説明しやすいからに過ぎない。また、解説が進むにつれて部分的に変更が加えられる可能性があることを記憶に留めておいて頂きたい。

  • 虚構(三郎による虚構)
    • ONE
    • THREE以降
  • 現実(三郎にとっての現実)
    • TWO

私はTWOが本作の拠りどころとなるものだと思っている。もしTWOを三郎にとっての虚構とすると、『煙』全体が虚構になってしまうからだ。私はTWOを三郎が実際に体験したことと仮定して本稿を纏めている。しかし、その仮定にはなんの根拠もないということも同時に記さなければならない。次項では私が拘るTWOとそれ以外の関係を見ていこう。

2.作中作、作外作
1で述べた通りの構造を並べると、ONE(虚構)、TWO(現実)、THREE以降(虚構)となる。虚構で上位層を挟むという構成は、ミステリでよく見られる作中作の逆を行く。しかし、もしかしたらONE(現実)、TWO(虚構)、THREE以降(現実)という構造で、ありふれた作中作かもしれない。前述したように「TWOを現実、それ以外を虚構」と仮定する根拠はどこにもないのだ。それを示す部分がTHREEにある。

さてクラリス。君の周りに、君を取り囲むようにして地面に小さな円を描いたとき、その円は果たして本当に、君を内側に閉じ込めているのかい?それともその円は実際のところ、その外側に世界を閉じ込めているんじゃないのかな?そもそも球体の表面に存在する円に、内側も外側もあるのかな?

これによって『暗闇』では、何が虚構で何が現実なのか判断できなくなる*2。それを議論することも無意味な気がする。しかし繰り返すが、ここではTWOを現実にあったことと仮定して話を進めていきたい。次項では、なぜ本稿がTWOだけを特別に扱うのかを説明する。

3.TWOを三郎にとっての現実とする根拠

  • 第一にTWOとTHREEにはっきりと見える違いである。手の平池と魍魎ヶ池、橋本敬の死因など、誰が読んでも明らかな齟齬。以上をもってTWOとTHREEを区分する。これについては特に説明の必要はないだろう。しかし、どちらが現実でどちらが虚構かは判断できない。
  • 第二にTWO最後のパラグラフ。以下はユリオと橋本敬、高野祥基がジャワクトラ神の模様を元にして西暁に描いた2枚の絵についての三郎の感想である。

今ここにUFOが下りてくるといいと俺は思う。(中略)俺がこれを小説として書くなら、必ずそういう結末にするだろう。物語というものはそういうものなのだ。誰かの熱意が空にいる誰かに通じたりしてもいいのだ。それが嘘であってもいいのだ。何故なら、誰かの懸命さは必ず他の誰かに見られているものだということは、物語が伝えるべき正しい真実だからだ。*3

引用部分を読むに、TWOが三郎による小説(虚構)だとすれば最後はUFOが登場しなければならないはずだ。しかし実際は登場しない。これと第一の理由を合わせてTWOを現実、THREEを虚構と仮定する*4

  • 第三にTWOの序盤、三郎による物語/虚構についての言及だ。この箇所は『暗闇の中で子供』のテーマだろう。

ある種の真実は、嘘でしか語れないのだ。(中略)ムチャクチャ本当のこと、大事なこと、深い真相めいたことに限って、そのままを言葉にしてもどうしてもその通りに聞こえないのだ。そこでは嘘をつかないと、本当らしさが生まれてこないのだ。(中略)正攻法では表現できない何がしかの手ごわい物事を、物語なら(うまくすれば)過不足なく伝えることができるのだ。言いたい真実を嘘の言葉で語り、そんな作り物をもってして涙以上に泣き/笑い以上に楽しみ/痛み以上に苦しむことのできるもの、それが物語だ。

これに沿ったできごとはTHREE以降、大挙して押し寄せてくる。FIVEはそれ自体がそうだといえるし、NINEでは大盤振舞いだ。そして、これはONEにも見られる。
例えば、楓の腕に生命が宿ったということは何を意味するのか。それは父親の愛情とは娘が心配で死に切れずに楓の腕に転生してしまうくらい深いものだということを、嘘で語っているのだ。さらに父親の死を知った楓が馬鹿食いして眠り込むというのも、ただ泣くだけでは表現できないくらい深い悲しみが存在するということを、嘘で語っているのだ。つまりONEはTHREE以降に通じるといえる。三段論法を用いればTWO≠THREE以降、THREE以降=ONE、ONE≠TWOとなる。よってTWOとONEも区分できる。
以上の流れで、TWOを特別とすることは理解してもらえたと思う。ここまでTWOを現実、それ以外を虚構(三郎の小説)として進めているが、それでは虚構であるONEとTHREE以降の出来事はどんな真実を表しているのだろうか。

4.虚構の世界の登場人物たち
さて、ここまでTWOを現実、それ以外を三郎による虚構として話を進めてきた。そうなると各登場人物の存在が危うくなる。つまり、虚構と仮定した部分にしか登場していない人物は虚構の存在なのだろうかということだ。猿江楓、岡本康広、荒木一雄は何のために登場したのか。またTHREE以降のユリオ(以下ユリオ3)はTWOのユリオ(以下ユリオ2)を元にした三郎の二次創作のように見えてくる。ユリオ2は柑橘系の匂いがキーワードになっている。BMWの脇を通り過ぎたとき。緑色のチェックのベッドカバーから。手の平池で。一転、ユリオ3は匂いの描写がほとんどない。P218の8行目に「ユリオの匂い」とあるが、柑橘系・ミカンの匂いはTHREE以降でてこない*5。匂いだけで別人と判断するのはどうかと自分でも思うが、もしユリオ3が三郎の二次創作だとしたら、彼女は何故三郎によって創られたのか。k前半はこれで終わるが、後半ではこの点に絞って深読みしようと思う。

注:後半のアップがいつになるかは未定です。

*1:ここでいう虚構とは、本作の語り手である三郎が実際に体験していないこと。これに対して現実とは、三郎の身に実際に起こったことをいう

*2:SIXとNINEで語られる奈津川家運命の日、1986年12月19日は『煙』での記述と決定的に違う部分がある。それは二郎を蔵に入れたあと家族で石狩鍋を食べたということだ。これを踏まえてSIXとNINEを虚構とすることもできる。その場合はTWOが現実でそれ以外が虚構となる。しかし、ことはそう単純に決めることもできない。何故なら『煙』全体とTWOこそが、実はONEとTHREEにはさまれた作中作であり、三郎による虚構なのだとする可能性も、同じだけあるのだ

*3:ちなみに、nuff-kieが舞城作品のなかで最も美しいと思うくだりがここ。この青臭さがタマランです

*4:この部分は次のように見ることもできる。すなわち三郎が2枚の絵を知っているということは、“誰かの懸命さ”は三郎によって観測されているともいえる。つまり手の平池に登場した三郎がUFOの役割を担っているわけであり、その場合TWOは三郎の小説(虚構)で、それ以外が現実だということもできる。何度も繰り返すが『暗闇』と『煙』だけでは、『暗闇』の虚構と現実を判断することはできないのだ

*5:本文では断言しているけど、間違っているかも。もし出てきていたら、その箇所を教えてください